【01Blog】自分たち以外もいること。そしてコダワリの表裏を知ること。

2015.02.15

自分たち以外も存在すること。そして、コダワリ、つまり、自分の行動の表裏を知ることが重要ですね。 今回は短期間ですがシンガポールとマレーシアの特にアクセラレーターを中心に訪問させて頂きました。同時に日系企業としては海外でどう共存共栄をしていくかという課題に応えるべく、今一度(2カ国ですが)アジアと向き合ってみたいと思って参りました。アジアで活躍される素晴らしい方々のお話を聞くにつれ、そこで思ったことをここに少しまとめておこうと思います。 1. 日本への興味関心は少しづつ薄れていっている。しかし、日本で皆が思っている認識とはそれがかなり異なる 正確にその状況を伝えることは私がそもそも正確にその状況を知っているか?ということにもなります。ただ、一つだけはっきり感じるのは少なくとも最後のサラリーマン生活を辞めた3年前と比較して確実に日本のプレゼンスが下がっているというところです。「あ?あのアイドル知っている。でも最近聞かなくなったなぁ。一部に根強いファンはいるけど。実力はあると思うんだけどねー」というイメージかなぁ?っと思います。もちろん、未だに日本がプレゼンスのある部分があります。しかし、我々が例えばアジアに対しお金持ちで(給与差が沢山あって)、技術的に進んでおり、どちらかというと指導側という認識(いわば常識)は少しづつ変わってきた、あるいは、人や分野によっては相当逆転しているという感じだと思えます。日本では多くの「日本はまだ受けている」「好きな人が多い」などは確かにそういう部分もあると思いますし、単純に一部をのぞいて日系が来ていないのもあるので、今より海外展開を頑張れば効果は出るかも知れないが、明らかに自分たちの認識とは状況がずれているということかと思います。 10987692_927323087280041_8841994066170068908_n 2. 日本人は日本語を話す日本人と話さない日本人しか居ないと思っている これは結構含蓄のある言葉だと思いました。久しぶりの昔同じ会社であったMoeさんとお会いしました。今は日系のIT系の会社で国際チームを率いるマネージャーとして才能を開花されているのを見て嬉しく思いました。 10985535_927408983938118_6133342258889060240_n これは多分、会社などの組織でも言えることかと思います。簡単に言えば、日本には何々社しかなく、皆そこに務めているが、会社名が違うという感じでしょうか。つまり、日本人という共通の価値観を持った人しか世界にはおらず、単純に日本語を話せるか話せないかということです。いわば、自分たちがこうだから、相手もこう思うはずだというところです。特に異文化の人と話す機会が最近多いですが、とにかく誰もが所属によって考え方がシフトしてます。 例えばこんな例がありす。その方はペット好きで猫が可愛くてしょうがない。猫好きの団体に居ます。そして私は特に猫に思い入れが無いですが、「ねぇ、この猫可愛いでしょう?」と写真を見せられ私もその猫を心底可愛いと思っていて当然ということがありました。 これは地方系(地域に根ざしたものが地域外の人も素晴らしいと思うはずという前提)、会社系(その会社の価値観が会社外の人にも通じるはずだという前提)、日系(これぐらい言わなくてもわかっているはずだという前提)で動いているということかと思います。 これは海外でもあることで、あるMBAを出られた方が経営陣を占めている会社があるそうです。「共通プロトコル」を持っているというのは別に日本に関わらず極めて重要ではあるのです。なので、悪いわけではないのですが、明らかに相手はそう思わないという事実をなかなか心から認める事ができなものだ(自分/自分たちの価値観は常にシフトしていて他人には理解不能)という前提で動くほうが良いかも知れません。 3. コダワリの表裏 シンガポールで活躍する大曽根さんにもお会いさせて頂きました。毎回理知的で鋭い観察眼には感服しています。 10928179_858932144150025_1005557541696529136_n Moeさんも日本人のコダワリに関して指摘をされておりました。例えば、日本茶は砂糖を入れて飲むなんて!的なものでしょうか。こうあるべきという価値観ですね。品質は良いべきとか。これはメディアの悪影響もあると思います。例えば、日本はウケている!とするとなんでも無条件に海外の方が日本のものを好きであると思ってしまう部分はあると思います。これはメディアの特性を考えながら自分で補正するしかないのですが。 歴史的な文脈はなかなか他国の人にはわかりづらいです。また、バリバリの日本そのままも確かにウケるものもあるのでしょうが、どちらかというと日本人側がこうだ!と思って売り込んだものよりは勝手に海外の方が見つけた「彼らの日本」がウケているという感じだと思います。 コダワリ=Craft man ship=職人 だとしますと、果たしてこれが悪いか?というとそうでもないです。だからこそ良いとも言えます。問題は物事には表裏があり、日本の場合は、何かを考える上で、利点なら欠点、欠点であればその利点を考える事が少ないのではないか?というのが私の今の仮説です。 コダワリが強ければ、アジアへのローカライズは難しくなります。一方、市場に媚びすぎてしまっては良さも無くなります。この表裏を理解することがなかなかできていない気がするのです。 200px-Yin_yang.svg 上は太極図になりますが、様々な場面でこの両面性を考える(あるいは2つで一つ)という考え方が今は必要なのかと思えます。話はずれますが、例えば、日本のプレゼンスが下がればこれはマズイ!という私も含めた人が全体から見ればとてもとても小さいかも知れませんが動き出します。コダワリがなければ良い物も創れなかったでしょうし、今の日本の地位も無かったとも言えるのです。 コダワリにも多分二種類あって、いわば「愛着的・自己愛的なコダワリ、本質的ではないコダワリ、多様性を受け入れられないコダワリ、保身的なコダワリ」と「事業創造の上での本質的なコダワリ、顧客満足に直結したコダワリ、俯瞰的に見て世界を良くすることへのコダワリ」になると思います。前者のコダワリが時に日本人に限らないですが、多くなる傾向が否めないというところでしょう。今一度、そのコダワリは本質的に事業を良くするのか(かつ、公共に貢献するのか)のそもそも論を問う必要があります。 私はもう日本は様々な面で後進国(少なくともベンチャーの世界では先進国ではないと思います)だと思います。なので、アジアを含む海外からもっともっと学ばなければならない。シンガポールの最大手アクセラレーターでは色々アジアにおける起業(事業創造)支援に関して教えて頂き(ありがとうございますHughさん!下写真左)感謝です。 IMG_9142 日本の起業・事業創造の状況が極めて悪いこと。だからアジアの皆さんに是非教えて頂きたいし、助けて頂きたいと頭を下げてきました。 10847839_927015153977501_5205982204393115033_n 最後になりますが、表裏を意識して極端に走らないように中庸に生き、多様性を受け入れるということが今必要なことかと思えます。 シンガポールのチャンギ空港で早朝便を待ちながら。冷房効き過ぎて寒い涙。

・・・