01Blog / 自分のプライドに固執するのか、事業で世界をより良くすることにコミットするのか

2016.05.11

脱皮できないヘビは滅びてしまいます。その意見を取り替えていくことを無くした精神たちも同じです。それは精神ではなくなるからです。 by ニーチェ

歴史を紐解くと明らかにおかしいことに固執して多大な損害を続けているケースを良く見かけます。多くの場合、内部闘争だったり、プライドだったり、自分の立場だったり利己的な要因が多いですね。

メンタリングをしていて感じる勝てない人のパターン

01 Innovation ReviewのVol.2として起業家メンタリングを公開しました。まだまだ改善していこうと思います。一つ思いますのは、起業で勝てないパターンでいくつか観られるものの一つに固執があります。起業家メンタリングの行動指針にまとめた通り、批判(ディベート:相手を打ち負かす事が目的化してしまい、本質をつかない欠点がある)となってしまったら駄目ですが「残酷になれ」というのがあります。残酷になる方が結果的にメンティのためになると。つまり、はっきり違うものは違うと言うことですね。特に自分が正しいとは思っていない(正しくないかも知れないと思うのもメンタリングの基本かと)のですが、勝てない起業家・社内起業家には2つのパターンが有ると思います。

(1) 話は素直に聞くが一向に変わらないパターン

(2) とにかく反論(反証)してくるパターン

上記に関しては、多分、プライドというか、自分への固執が凄いのであろうな?と思います。特に私が合っているとは思ってません。ただ、かなりの確率でこちらが本質を付いている場合、保身、プライド、こだわりなどの理由で結果的に行動が変わらないパターンですね。社内起業の場合は、これに社内都合が付くかと思います。

真実が一つとは思いませんが、物理的におかしいものはやはりうまくいかないですよね

失敗への恐怖

これは一つの理由でしょうね。多分、固執の本質は恐怖なのだと思えます。その一つが失敗への恐怖となるかと思えます(ここにまとまってます)。全員ではないですが、非常に優秀な人、学歴が高い人、過去に手痛い失敗や、いわゆるボコボコにされたことがないときに多いですね。社会経験の少ない学生さんでもよく見られます(非常に自信があるか、ない場合が学生さんの場合は多い気がします)。

失敗を内省(客観的に評価する)しても、それで落ち込む(落ち込むでしょうが)のは筋違いかと思えます。

固執の根幹

固執(執着)の根幹は恐怖だと思えます。自分自身に集中することで、失うこと、失敗すること、人から悪く思われること、など、非常に様々ですね。いずれにしろ、根幹は恐怖であると。

何が起業家・社内起業家を固執させるのか

誰もが自分のために生きていると思います。多くの場合、その人個人の固執・執着は他の人から見てあまり意味をなさない場合が多いです。なので、何故そんなに執着するのだろう?と思ってしまいます。下記にまとめてみます。

  • 他人の価値観の思い込み。どこかでインプットされた何か他人の考えを自分の考えだと勘違いして思い込んでしまっている。価値観・思い込みがなせる技。これは自分を再発明する起業では良くない考えですね。学生に多いですね。
  • 過去の成功体験。これも上記と同じように「思い込み」の類としては大きそうですね。市場特性・製品特性が違うに対して、素直に学べないということです。これはかなりの部分で社内での新規事業でも多いですね。
  • 自分を理解してもらいたい。これも大きいですね。ビジネスの話をしているのに、自分自身を分かってもらえないという別の方向に走ってしまっているケースですね。プライドに近いでしょうか。周囲への期待に応えたい場合も近そうです。起業が目的となっているケースに多そうです。
  • 負けや失敗を認めたくない。上記にこれも近いですね。自分はもっとできるはずだというのに多いですね。起業で有名な会社を出た人や、大手出身など過去に様々な理由で、自分の実際よりも「高い」ポジションに居た人に多いですね。大手を振って起業した後には止めにくいというのはありますね。
  • 捨てられない。これは多そうですね。今までやってきたことへの執着。サンクコスト。後は、周りの人に気を使うというのも大きいですね。中小企業で多いですね。社内起業でも関係部署などの関係で多いですね。


など、様々に理由があります。さて、結局、事業の成功にはコミットしますが、これらの固執・執念を捨ててしまった方が確かに起業・社内起業では勝ちやすいですね。ただ、誰もが陥る罠ですね。その時は難しい(人は失敗するまで人の意見を聞かない)。ただ、多くの人が失敗から学んでいることも事実なので必要な通過点かも知れません。

継続と固執は違う

結局のところ、自分に拘り続け、囚われ続けるのか、それとも、その檻を出て、辛いかも知れないが、荒波でもどこまでも泳げる事業創造への自由を生きるのか、生き方そのものともいえそうです。

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