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「宇宙は儲かるのか?」から始まる地政学的視点での宇宙開発論——和歌山大・秋山演亮氏が語る国家プレゼンスと産業化の現実【Kii Space HUB レポート】

和歌山県が令和7年度から展開する宇宙産業集積プロジェクト「Kii Space HUB」。6月27日に開催されたエントリーセミナー「宇宙開発概論①〜必要性と地域で進めるべき取り組み〜―宇宙を巡る国際情勢と我が国の宇宙開発体制」で、和歌山大学学長補佐の秋山演亮氏が展開したのは、従来の技術論を超えた地政学的視点からの宇宙開発論だった。

はやぶさ・かぐや計画に参加し、内閣府宇宙政策委員会専門委員も務めた秋山氏が語るのは、単なる技術解説ではない。500年の領土拡張史から現代のウクライナ紛争におけるスターリンクの役割まで、歴史と地政学の観点から宇宙開発の本質的意義を読み解いていく。

2040年に150兆円市場への成長が予測される宇宙産業において、1兆円で停滞を続ける日本の現状をどう打開すべきか。地域発の宇宙産業育成を目指す和歌山県の取り組みを通じて、その答えを探る。

串本発射場を核とした Kii Space HUB の挑戦——秋山氏が投げかけた「宇宙は儲かるのか?」

100名を超える申し込みがあった同セミナーで、秋山氏が講演の冒頭で投げかけたのは「宇宙儲かるんですかね?」という直球の問いかけだった。

Kii Space HUB は、串本町に所在するスペースポート紀伊の立地を活かし、地域に根ざした宇宙産業エコシステムの構築を目指すプロジェクトだ。

ゼロワンブースターと SPACETIDE を中心とする運営体制で、国内の宇宙スタートアップや宇宙産業プレイヤーを巻き込みながら、企業の宇宙産業参入支援から人材育成まで包括的に取り組んでいる。世界の宇宙関連産業は2000年代初頭の数兆円規模から急激な拡大を続けており、2040年には150兆円から170兆円規模への成長が予測されている。5年で倍増するマーケットとして、他に類を見ない成長分野となっている。

「世界の宇宙マーケットはどんどん拡大している中で、日本だけが1兆円規模のまま伸びていないという状況です」(秋山氏)。

しかし、日本の現状は世界市場の急成長とは対照的だ。過去10年以上にわたって1兆円前後で停滞を続け、世界市場に占めるシェアは相対的に縮小している。

この危機感から、政府は2022年以降、戦略基金の創設などを通じて大規模な予算投入に踏み切った。従来3000億から5000億円だった宇宙関連予算は既存のマーケット規模と肩を並べる1兆円近くまで拡大し、秋山氏が「超絶バブル」と表現する状況が生まれている。

ただし、この予算拡大の効果について、秋山氏は構造的課題を指摘する。政府予算の獲得が企業の主要目的となりがちで、資金調達額と実際の収益は全く異なるという現実がある。真の産業化に向けては、商業市場での競争力確保が急務となっている。

和歌山県の取り組みは、こうした国内宇宙産業の課題を踏まえながら、県内に射場を有する地理的優位性を活かした独自戦略を模索している。しかし秋山氏が強調したのは、宇宙開発の本質的意義は単なる収益性を超えた次元にあるという点だった。

SpaceX 社のスターリンクが変えた戦争と情報戦——宇宙インフラの地政学的重要性

秋山氏の講演で重要な位置を占めたのが、SpaceX 社が提供する衛星インターネットサービス「スターリンク」が現代の戦争に与えた革命的な影響についての分析だった。

現在6000機を超える衛星が地球周回軌道を回るスターリンクは、従来の静止軌道衛星とは全く異なるアプローチで世界の通信インフラを変革している。

従来の通信衛星は地上から3万6000キロ離れた静止軌道に配置されていたため、強力な電力が必要だった。しかしスターリンクは500キロから600キロという低い高度に数千機の衛星を配置することで、携帯電話の電力でも直接通信できる環境を実現した。

地球上のどの場所でも常に複数の衛星が見える状態を作り出し、山間部や海上でも安定した通信が可能になっている。

この技術革新が最も劇的な効果を発揮したのがウクライナ紛争だ。

秋山氏は、災害時の地図作成を専門とする古橋大地氏の取り組みを例に挙げながら説明した。古橋氏は通常、津波や地震の際に世界中の協力を得て被災状況をマッピングする活動を行っているが、ウクライナ紛争の勃発時にもこのシステムが適用されたという。

スターリンクをはじめとする多様な通信網を経由し、現地からの地上写真と衛星画像データを組み合わせた迅速な情報収集が可能になった。その結果、ロシア軍による虐殺の証拠なども衛星画像で確認できるようになり、教会の周辺に掘られた穴や埋められた痕跡まで詳細に把握できた。戦争の常として通信局やメディアを抑制するのが基本戦術だが、ウクライナ紛争ではそれが通用しなかった。

「それを実行するかどうかの決定権を1人の人間が持っているということが、いかに危険であるかということを、世界中が気づいたわけです」(秋山氏)。

イーロン・マスク氏がスターリンクのサービス提供を停止すると発言したり、無償提供から有料化に転換すると表明したりした際、世界は一人の個人の判断に重要なインフラが依存している危険性を痛感した。ウクライナの情報発信や国際的な支援体制が、マスク氏の意向一つで左右される状況が露呈したのだ。

この事態を受けて、秋山氏は2010年の有識者会議で提唱した「自在な宇宙利用能力」の概念の重要性を再強調した。同会議では「自在な宇宙利用能力は、我が国の外交力、ソフトパワー及び安全保障のために戦略的に推進すべき政策」と位置づけていたが、この提言の先見性がウクライナ紛争で証明された形となった。

もしこの方針がなければ、日本は H3 ロケットの開発を継続しなかった可能性もあったと秋山氏は指摘する。コスト面だけを考えれば、イーロン・マスク氏のロケットを購入すれば済むという議論も実際にあった。しかし、宇宙への自律的なアクセス能力を失えば、外交カードとしての価値も、安全保障上の独立性も失われることになる。

スターリンクが示したのは、宇宙インフラが21世紀の国際政治における新たな戦略的要素となったという現実だった。情報戦、経済活動、そして国家安全保障のあらゆる側面で、宇宙への自在なアクセス能力を持たない国は、他国や民間企業の意向に左右される従属的地位に置かれるリスクが明確になったのである。

500年の領土拡張史から読み解く月の領有権問題

秋山氏が展開した最も興味深い論考の一つが、500年にわたる人類の領土拡張史から現在の月開発競争を読み解く視点だった。1492年にコロンブスが西インド諸島に到達した際、ヨーロッパの反応は驚くほど迅速だった。わずか2年後の1494年にはトルデシリャス条約が締結され、世界の分割が決定された。南極大陸についても、1959年の南極条約により領有権は棚上げされたが、こうした国際法の背景には常に力関係がある。

現在の月開発競争も、まさにこの歴史的パターンの繰り返しと言える。アメリカ主導のアルテミス計画は実質的にはアルテミス合意国による月の独占を目指している。一方、中国は独自の月面基地建設を進めており、ロシアと協力して月面に原子力発電所を設置する計画も発表している。

月面の原発設置には、深刻な軍事的リスクが伴う。月は15日間の昼と夜が交互に続くため太陽光発電では限界があり、原発には一定の合理性がある。しかし、これが軍事転用される危険性がある。

「月面の原発を使えばリニアモーターによる加速で十分に物体を地球に射出できる。つまり月そのものが兵器として機能してしまうということです」(秋山氏)。

月の低重力と真空環境を利用すれば、地上では不可能な速度まで物体を加速できる。月面基地が軍事拠点化すれば、地球上のあらゆる地点が攻撃対象となる可能性がある。こうした状況下で、秋山氏は2025年1月のトランプ大統領就任を重要な転換点として位置づけた。

月面での基地建設や資源開発が現実のものとなる中、500年前のトルデシリャス条約と同様の分割が宇宙空間でも進行しつつある。歴史が示すように、実効支配の能力を持たない国は、分割の結果を受け入れるしかない立場に置かれることになる。

宇宙4強から6強へ——日本の地位低下と地域からの巻き返し戦略

秋山氏は講演の後半で、日本の宇宙開発史を振り返りながら、現在の相対的地位低下に警鐘を鳴らした。日本の宇宙開発は1945年の敗戦で飛行機開発が禁止された中、糸川英夫先生がロケット開発を開始し、1970年に日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功したことから始まった。これは世界で4番目、独自技術による達成では実質的に2番目の快挙だった。

しかし皮肉なことに、この成功がアメリカの警戒心を呼び起こし、1970年代のデルタロケット技術無償提供につながった。これは日本の独自ロケット開発を封じ込める意図があったとされる。

現在の国際的な宇宙開発競争において、日本の立ち位置は大きく変化している。かつてアメリカ、ソ連、ヨーロッパと並ぶ「宇宙4強」の一角を占めていたが、中国とインドの急速な台頭により「宇宙6強」となり、相対的な地位は低下し続けている。

秋山氏は、この地位低下の根本的な原因として哲学の欠如を挙げた。日本の宇宙開発は雰囲気やポピュリズムに流されがちで、明確な戦略的ビジョンが不足していると指摘する。

「中国は有人探査や月探査において一貫した哲学を持ち、それを粛々と進めている。やはり重要なのは哲学です」(秋山氏)。

こうした戦略的思考の欠如は、商業市場での競争力不足にも直結している。技術力や製造能力が向上したとしても、それを実際に売り込む姿勢がなければ国際競争には勝てない。海外市場のニーズを的確に把握し、積極的な営業活動を展開する「売る気」が何より重要だという。

秋山氏は講演の最後に、地域からの宇宙産業参入の可能性を示唆した。研究開発では世界トップクラスの実績を持ちながら、産業化で後れを取った日本の課題を克服するには、中央集権的な大型プロジェクトとは異なるアプローチが必要だという。

和歌山県の Kii Space HUB のような地域発の取り組みは、機動性と専門性を活かしたイノベーション創出の新たな可能性を示している。既存産業の技術的優位性を宇宙分野に転用し、グローバル市場で通用する製品・サービスを開発する──こうした地域レベルでの戦略的取り組みこそが、日本の宇宙産業復活の鍵を握っているかもしれない。

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