AI解析で食品栄養価値を再定義——明治とザ・ファージのオープンイノベーション
食べ物の「健康価値」がAIで手軽に可視化される、そんな時代がもうすぐやってくるかもしれません。
今年9月、AIによるヘルスケアを手掛けるTHE PHAGE(ザ・ファージ)が新たな資金調達を発表しました。独立系のベンチャーキャピタル、ジェネシア・ベンチャーズがリードしたこのラウンドには、今後の協業を見据えた大手企業も含まれています。
その内の一社、明治とのコラボレーションが今回の話題です。
明治とスタートアップ企業のザ・ファージは、食品の健康価値を可視化するAI開発で協業を進めています。その出会いのきっかけとなったのが2022年に実施された明治アクセラレーターでした。
両社はどのような経緯で協業し、出資にまで至ったのでしょうか。明治の経営企画本部イノベーション事業戦略部事業開発グループ長の八尋恒隆氏と、ザ・ファージ代表取締役CEOの德永翔平氏に、その経緯や成果、今後の展望について話を伺いました。
糖尿病診療支援サービス「グルコースフライト®️」
ザ・ファージが提供する「グルコースフライト®︎」は、血糖変動から食事を評価し、食事管理を支援するサービスです。糖尿病患者の生活データを可視化し、医師との情報共有を円滑にします。これにより、患者は効率的に血糖管理に取り組め、医師は個々の患者に適した生活提案が提供しやすくなります。消費者向けアプリはiOSとAndroidに対応。
ビジョンの共有がもたらした成果
ザ・ファージは元々、医療・ヘルスケア分野で広範に活用できるAIの開発を目指していました。その過程で、食と健康への展開も視野に入れていた同社は、明治が主催したアクセラレータープログラムをきっかけに協業の機会を得ることになります。
特に注目したのは、明治が保有する食品データベースでした。血糖値の予測AIを開発する上で、豊富な食品データは非常に重要な要素となります。明治が持つ圧倒的なデータベースの存在が、協業を決める大きな決め手となったのです。
「血糖変動の予測精度向上には食品成分データベースが不可欠ですが、明治さんは長年の研究開発で圧倒的な食品データベースを構築されていました。この強みに着目したことが連携の重要なきっかけとなりました」(德永氏)。
両社の協業は、アクセラレータープログラムを通じて本格的に始動します。プログラムでは、01Boosterを含めた複数の支援チームが伴走し、目標から逆算して具体的な成果を作り上げていく過程で、食と生体情報の新たな可能性を探索することができました。
プログラムの特徴的な点は、早い段階でビジョンの擦り合わせを行ったことです。両社が何を目指し、現在どのような立ち位置にいるのかを共有し、お互いの持つ情報を出し合うことで、知識の融合が図られていきました。その結果、プログラムは非常にスピーディーに進行し、大きな成果を上げることができました。二人は次のように振り返ります。
「新たな価値創造の可能性を探るにあたり、まずミッションとビジョンの擦り合わせに重点を置きました。両社の目指す方向性と現状を率直に対話する中で、お互いの強みを活かした未来像が自然と浮かび上がり、それが知識融合の大きな原動力となりました」(徳永氏)。
「(協業先を)同じ仲間としてどこまで腹割って話しができるか、みたいなところが多分ポイントなのかなと思って振り返ると、それができていたチームほど成果に繋げてたなっていうのは印象としてありますね」(八尋氏)。
実際に、ザ・ファージでは明治アクセラレーター以降に参加した別のプログラムでも、最初にこの「ビジョンのすり合わせ」をすることによって受賞を重ねるなど、着実な成果を上げていったと明かしてくれました。
食と健康をつなぐ技術開発
両社の協業が成功に至った背景には、事業領域の親和性の高さがありました。
この協業は当初、ザ・ファージ側からの要望として、AIのデータセット構築への協力を依頼する段階では、まだ具体的な方向性が定まっていませんでした。しかし、明治との対話を通じて、食品の健康効果の検証という新たな研究テーマが浮かび上がってきます。
チョコレートや乳製品、プロテインなど、明治の主力製品群は健康との関連が深い一方、それを表現する方法には課題がたくさんありました。
そこがザ・ファージと協力することで血糖値という指標が明確になり、関係者が描いていた漠然としたイメージを具体化する取り組みにつながっていくのです。ザ・ファージが持つ可視化や予測の技術は、明治が持っていなかった重要なパーツだった、というわけです。
さらに注目すべき点は、血糖値という指標の即時性です。
一般的な保健機能食品などでは、効果の確認に数週間程度の期間を要します。しかし、血糖値は食事から15分程度で反応が現れるため、食品の効果をより直接的に確認することができます。この特徴は、食品の健康価値を可視化する上で大きな可能性を秘めていたのです。 また、明治は全社で掲げる「栄養ステートメント」の中に「アドバンストニュートリション」という概念を掲げています。これは単に食品を提供するだけでなく、その健康価値の達成度合いを高めるために、外部のリソースや様々な情報やサービスとの組み合わせが必要だという考え方です。ザ・ファージとの協業は、このステートメントを体現するパートナーシップでもありました。
明治の研究所との連携も成功の要因のひとつです。研究所のメンバーとの対話を通じて、明治が抱える課題や可能性が明確になっていきました。ザ・ファージは明治のIRなどの公開情報も詳細に研究し、協力できる領域を具体的に見出していきます。
「(八尋さんも含め)プログラムを通じて、研究者からマーケティング責任者まで、各領域のスペシャリストとの対話を重ねました。各専門家の深い洞察に耳を傾けるうちに、私たちのソリューションと彼らの知見が一本の線でつながり、食と生体情報という新たな価値創造の可能性が見えてきました。この発見を起点に概念実証を進め、各分野固有の課題に柔軟に対応できたことが、現在の強固な協業体制の構築につながったと考えています」(徳永氏)。
こうした下地もあり、研究所のメンバーとの議論もスムーズに進み、共通の課題に対して協働で取り組める体制が自然に構築されていったと言います。そしてこの取り組みは双方にとって有益なものとなったようです。
ザ・ファージにとってはAIの開発に必要なデータセットの拡充につながり、明治にとっては製品が持つ健康効果を科学的に探索する機会となりました。実際の検証では、明確なデータが得られ、両社の予想を裏付ける結果もみられたそうです。
アクセラレータープログラムの最終報告の段階では、継続的な協業体制の構築について合意に至りました。この過程で、いわゆる「キャッチャー問題」(社内での受け入れ態勢の課題)も自然な形で解決されていきました。
結果的にこの取り組みは明治の経営陣からも支持を得ることになります。今回のザ・ファージへの資本を含めた業務提携の流れは自然な展開として実現することになったのです。
オープンイノベーションが切り開いた未来
オープンイノベーションの重要性は、AIの開発過程でより一層明確になっていきます。
ザ・ファージの立場からすると、資金調達などの制約がある中、高度な開発を進めるためには、外部との協力関係が不可欠でした。明治との協業を含め、医療やヘルスケアに関心を持つさまざまなパートナーとの連携は、新たな可能性を切り開く重要な戦略となっています。
明治の視点からも、オープンイノベーションは従来の価値観を変える契機となりました。かつての自前主義や独自路線から脱却し、むしろ積極的に外部との関係を築き、実証事例を積み重ねていく姿勢へと変化しています。
この過程で見えてきたのは、食品の本質的な価値の再定義と言います。
明治が伝統的に世に送り出してきたチョコレートやヨーグルトといった食品は、人類の長い歴史の中で、単なる美味しさだけでなく、体に良いものとして選ばれ、残されてきました。それが現代の技術を用いることで、これらの食品が持つ本来の価値を再発見し、科学的に裏付けていくことができるようになったのです。
「明治の前身の会社が生まれたところから、食品の栄養を通じて世の中を良くしていこうっていうことを掲げながら100年間やってきてるところがあって、本当の美味しさはもちろん、やっぱり体にいいもの食べていただきたい。真面目に物を作ってるので店頭やCMだけでは伝えきれない、理解してもらえないジレンマみたいなものをずっと抱えていました。そこを補完していただける技術なり、お客さま自身が気づいてもらう手段なんだと思います」(八尋氏)。
「(今回の取り組みは)チョコレートにしてもヨーグルトにしても、おいしさだけじゃない『健康』という価値の再定義につながっていくと思います」(徳永氏)。
両社の協業は、次のステージに向けて動き出しています。9月12日のプレスリリースで発表された通り、明治とは食品のさまざまな健康価値の可能性を探索する協業連携を進める計画です。
さらにザ・ファージは保健医療分野のAI開発において、さらなるデータセットの構築を進めていくため、オープンイノベーションの輪をさらに広げていく予定です。10月30日のプレスリリースでは、明治、TOPPAN、メディヴァ(もう1社は社名非公開)との保健医療分野のAI開発と医療DX推進とデータ取得プロジェクトへの参画に関する協業連携を発表しました。この基本合意書に基づき「データヘルス」「医療DX」「保健医療分野におけるAI研究」「研究開発を通じたデータセット」を推進することで、持続可能な社会保障制度への貢献と国民の健康寿命の延伸を目指すといいます。
血糖値と食品。プログラムをきっかけにはじまったこの取り組みは、単なる技術開発にとどまらず、食と健康に関する新たな価値創造の可能性を切り開くことになるかもしれません。
伝統的な企業の理念とスタートアップの革新的な技術が融合することで生まれた、未来志向の取り組みといえます。今後、この協業がもたらす成果は、より広い社会的インパクトを生み出していくことが期待されています。